皆様こんにちは♪
台湾特集も第3弾!
今回は少しだけ歴史にも触れ、台北、台南、台中の
地域の違いについて調べてみました(^^)
台湾が歴史的に注目されるようになったのは、16世紀頃。
倭寇(当時の海賊)が活発に活動するようになり、
台湾が拠点地として使われることが増えました。
やがて、漢民族、日本人が恒久的に住まうようになります。
この時代、ヨーロッパ諸国は大航海時代!
ヨーロッパから多くの人が往来するようになる中で、
台湾の戦略的重要性に気づき、オランダ、スペインが侵入。
1800年代まで統治体制を築きました。
両国の統治は今の台北は含まれていませんでした。
というのも、鉄道網などがまだない台湾では、
船舶輸送に適した港湾が設置できる台南市や基隆市に
拠点を置いた方が都合が良かったためです。
台北が経済の中心になるのはそこから200年近く経ってからですので、
台南に歴史的建造物や古き良き街並みが多く残るのは、
そういった歴史的背景があります。
台南は台湾島で最も早く開けた土地です。
そもそも「台湾」という言葉は「台南一帯」のことのみを
指していた呼び名だったというので驚きです!
日本統治時代に本格的に中心地は台北に移りましたが、
その後も地方都市として発展をつづけました。
その為、台南は「日本の京都」に例えられる場所でもあります。
台北が経済の中心となったのは、
1880年代の台北府の設置、台北城(現在は城壁のみ)の建築に始まり、
1895年以降、日本による統治が開始された頃です。
台北は台湾の地理的に日本本土に近く、
新興都市であったことから都市計画が進みました。
当時は日本の重要都市として整備が進み、
日清戦争をきっかけにさらに加速します。
それまで1平方キロメートルの範囲であった台北を
数倍から数十倍の範囲に拡大し、道路、鉄道を整備し、
それにより、人口も急激に集中・増加しました。
1935年ころ、南北及び東区の急速な発展に伴い、
面積が100平方キロメートルに至らない台北市に
日本人8万人、台湾人18万人が居住するようになりました。
当時の台北市の人口は32万人を突破!
総人口530万人の台湾で、僅か0.003%の面積の台北市に
6.3%もの人口が集中していました!すごい(;・∀・)
その後は第二次世界大戦の日本の降伏に伴い、
大量の日本人が台北から引き上げ、現在の中華民国による統治に変わりました。
日本を含む様々な国の干渉を受け、現在の姿になったのですね。
さて、台北、台南につぎ、観光地としても歴史的にも外せないのが「台中市」です。
人口は台湾で2番目の280万人。
台湾の3大産業地区の一つです。
台北市や台湾最大の港がある高雄市まで片道1時間足らず。
2拠点の重要な中継地点として歴史的にも栄えてきました。
1705年に清朝の軍隊が駐屯地としたことも理由の一つです。
漢民族の移住、日本統治によりさらに開墾が進み、
南北の物流基地として栄えました。
また、年中を通して気候は穏やかで、
台風の影響も受けにくい地形から、
「台湾の人が住みたい街No1」にも選ばれ、
外国人も多く住んでいます。
台湾で3番目に大きなこの都市では娯楽やグルメはもちろん、
ノスタルジックな雰囲気も味わえ、観光客にも人気です♪
今回は3つの都市の歴史的成り立ち、
違いについて触れてきました。
次回は各都市の行ってみたい観光スポット(完全な個人的好み笑)をご紹介したいと思います♪
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